班長 大浦 康介
「生きもの」にとって「生きる」とはいったいどういう営みなのだろうか。その形態、技術、境界に着目しながら従来の人文学からの脱皮を目指すことが本研究の課題である。
ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは、生きものの営みと、その営みがなされる世界との相互関係を「環世界Umwelt」と呼んだ。この言葉が自然科学ばかりでなく、人文科学においても多大なる影響を及ぼしてきたことは周知のところである。ヴァイツゼッカーの『ゲシュタルトクライス』やその紹介者でもある木村敏の一連の仕事はもちろん、歴史学における環境史の活性化にも、人間と非人間の関係性を主題とする人類学的理論の深化や、近年の哲学等における「動物論」の隆盛にも、そのことは容易にみてとられる。人間と人間以外の「生」の営みを同じパースペクティヴで論じることを、先行者たちは試みてきたのである。
本研究班でも、こうした先行研究を引き継ぎつつ、しかし「環世界」を単なる抽象概念として扱うのではなく、生きもののあり方、生きもの相互の「あいだ」や「空気」、さらにはそれらの関係のなかで生まれる技術や言説など、具体的な事象に寄り添いながら考えることを主眼に据えている。その射程は、たとえば多種多様な「生きもの」が関係する災害、開発、農林漁業、鉱業のみならず、心的生や精神病理学的事象にまで及ぶ。それは無文字の知もあわせて、「生きもの」としての人間が培ってきた生き抜くための知=「人間力」を理解することにもなろう。
近年の人間と自然をめぐるさまざまな齟齬や葛藤は、これまでの自然科学や人文・社会科学では捉えきれないダイナミズムを有している。それは、総合的な知の営みであったはずの人文学それ自体の限界を示しているともいえる。人間を、人間そのものとしてだけではなく、その境界や「界面」から捉え直すことが、かえってより深く人間を理解することにつながるのではないか。本研究の根底にあるのはそのような問いかけである。
班員 山室信一、田中雅一、藤井正人、小関隆、石井美保、岩城卓二、瀬戸口明久、藤原辰史、 王寺賢太、立木康介、菊地暁、ホルカ,イリナ、田中祐理子、藤井俊之、小川佐和子 |